難病の「フェニルケトン尿症」は、食事でたんぱく質の摂取制限を求められる。コントロールがうまくいかない状態が続くと、イライラする、抑うつ状態になるなど、精神的な不調に陥ることがある。
給食の時間は嫌だった
東京都のもえさん(30)は、大きな缶に入った粉ミルクを自宅にそろえている。
この病気の人は、たんぱく質に含まれる「フェニルアラニン」と呼ばれる必須アミノ酸を、別のアミノ酸「チロシン」に変える酵素の働きが生まれつき弱い。フェニルアラニンが体内に蓄積されると、精神的な不調を起こしやすくなる。そのため、たんぱく質が多い肉や魚、卵、乳製品は食べられない。主食となる米、パン、麺も、たんぱく質が多めであるため、「低たんぱく米」などの製品を取る。だが、それでは他のアミノ酸が不足してしまうため、フェニルアラニンを除去した治療用の粉ミルクを毎日一定量、飲まなければいけない。
もえさんは、小学校から高校まで弁当を持参して登校した。「給食があった小学校、中学校では周囲から注目を集めてしまい、給食の時間が本当に嫌でした」。中学1年の時、長野県で行われた林間学校に参加した際は、母親に作ってもらった食事を冷凍して、事前に宿泊施設に送ってもらった。
給食がなくなった高校以降は、プレッシャーから解放されたが、友人から菓子をもらったり外食に誘われたりする機会が増えた。「もらったお菓子のたんぱく質の量をその都度、確認するわけにはいかず、フェニルアラニンの数値の調整が難しい時もありました。夜に外食をしなければいけない日の朝と昼は、自宅で低たんぱく米しか食べなかったり、翌日の食事の量を減らしたりして、調整するようにしていました」と話す。
「負のループ」に陥ったことも
それでも、大学の後半から社会人1、2年目にかけては体調を崩し、フェニルアラニンのコントロールがうまくいかなくなった。怒りっぽくなったり、うつっぽくなったりし、「自分はダメな人間だ」と自己肯定感も下がった。
「いつもなら踏みとどまれるのに、(低たんぱく質ではない)普通のパンをあえて食べてしまうこともありました。その時は『やってしまった』と罪悪感があるのですが、気持ちのコントロールができなくなっていたため、また食べてしまうことを繰り返していました」。母親から指摘されてもイライラして言い返してしまい、元の食事に戻せない。「負のループ」に陥った。
社会人になってから、普段は通勤時に背負っているリュックサックを自宅に忘れたことがあった。最寄りの駅に着くまで気づかず、「この物忘れはさすがにまずい」と感じた。
その後、2~4週間、「教育入院」し、元の食事に戻そうと努めた。それができるようになり、フェニルアラニンの数値が改善すると、「それまで頭にかかっていた霧が晴れていくような感じがして、すっきりしました」。「自分はいろいろなことができる」といった自信も取り戻していったという。
「食べられます」と言える喜び
ただ、毎回、食材に含まれるたんぱく質の量を調べながら食事を作るのは、大変だった。どうしても食べる量が減ってしまい、体力がもたないとも感じていた。
2023年5月、フェニルアラニンを代謝・分解する注射薬「ペグバリアーゼ(商品名パリンジック)」が登場した。食事の制限を緩めることが期待でき、主治医に、この薬を使いたいと希望した。同年9月、投与を始め、3~4か月かけて量を増やしていった。最初のうちは、微熱や腫れ、頭痛、じんましんといった副作用が出たが、少しずつ症状は減り、慣れていった。
今は1日おきに朝、腹部や太ももなどに打っている。「これまでは、朝、どんなに体調が思わしくなくても自分で弁当を作らなければいけなかったのが、職場に低たんぱく米だけ持っていけば、市販のおかずも食べられるようになりました」。フェニルアラニンを除去した治療用ミルクは飲み続けているが、量は減った。1日に摂取するたんぱく質の量も、8~9グラム以下に抑えなければいけなかったのが、「35グラムは取らないといけない」に変わった。
7月に参加した飲み会では、生まれて初めて鶏の唐揚げを食べた。「周囲の人に食べられるかどうか尋ねられた時に『食べられます』と答えられるというだけで気持ちが楽になります」と笑顔を見せる。